猫伝染性腹膜炎の治療が目まぐるしく進歩しています。あまりにアップデートが速すぎて、まだ専門書にものっておらず、獣医師でも意識的に情報集めないとあっという間に浦島太郎となっています。
今回昨年発表された論文からいくつかをピックアップしてお伝えしてみます。
- 死ぬ病気といわれた猫伝染性腹膜炎の治療
- 中国製ブラックマーケット薬「ムティアン」の終わり
- 本当の猫伝染性腹膜炎治療の始まりと今わかっていること
1.死ぬ病気といわれた猫伝染性腹膜炎の治療
猫伝染性腹膜炎は、猫に発症するウイルス性疾患であり、発症すると多くの場合短い期間で死亡してしまう恐ろしい病気です。私自身いく匹かの猫をこの病気によって助けることができず亡くしてしまいました。
この病気に対していくつかの治療法はありましたが、その多くが反応することなく死亡してしまいました。ですが、この恐ろしい病気に関する治療がここ数年大きく変化してきています。そのきっかけがムティアンというサプリ?の登場です。これは、アメリカで開発されたGS-441524という抗ウイルス薬を中国が盗み出し、ムティアンという名前でブラックマーケット経由で販売しだしたものと言われています(真偽不明)。これは確かにこの致死的な病気に対して効果を示し、多くの猫がこの治療によって治療され始めたのがここ数年の話です。
2.中国製ブラックマーケット薬「ムティアン」の終わり
このムティアンというものは、確かに効果が見られましたが異常に高価であり、一般的なルートで作られていないもののためその成分の保証もなく、流通ルートも不安定であり、特許侵害のため多くの倫理的な問題点があげられてきました。しかし、致死的な病気の治療のためという大義名分もあり、多くの獣医師がその倫理的な問題点を度外視し、使用に手を染めました。テレビでは、このムティアンの購入のために車を売ったことが美談として取り上げられ、巷にはFIP治療のためのクラウドファンディングが乱立しました。
確かにその治療で救われた命は尊く、使用が責められるものではなかったと私は考えています。しかし、このムティアンの治療も2022年に入り大きく変わっていきました。それがイギリスやオーストラリアでBOVA社という会社から猫用に作られた抗ウイルス薬「レムデシビル」と「GS441524」が認可、発売されたのです。この薬は、日本でも獣医師が購入することができるため日本でも使用ができる薬です。
2024年1月15日追筆
その後ムティアンを製造していた会社の人間は逮捕されたとのことですが、その後も名前を変えて多くの中国製違法ドラッグが出回るようになりました。
基本的に正規品は筆者が知る限りでは現在BOVA社GS441524とレムデシビルのみになります。その他はすべて違法ドラッグです。そして、新しい情報ではそれらの商品が粗悪品であることがわかってきています。
⇒【獣医師執筆】FIP(猫伝染性腹膜炎)治療最前線2024年
3.本当の猫伝染性腹膜炎治療の始まりと今わかっていること
このムティアンによる治療のその他の問題点としてブラックマーケットのもののため製造工程、純度、成分などが不明であり、かつ実際問題としてその中身にGSの成分が正確に含まれていない場合さえあることがわかってきています。そのため、いくらこれを用いて治療してもデータの集積が困難となります。※これくらいの容量を使ったと言っても実際にその容量が含まれていないかもしれず、正確なデータになりえないため
そして、今ちゃんとしたルートでこの薬を購入できるようになった以上この薬を使うことは倫理的にも許されないこととなりました。今後はこの正規ルートによって行われた治療を元にデータが蓄積され、より良い猫伝染性腹膜炎の治療が始まることでしょう。
◎治療法と効果について
では、現在わかっている範囲でどの程度この恐ろしい病気と闘えるかを国際猫医学会の報告や論文から抜粋してみます。
※概要のみのおおざっぱな記載なので、興味あれば元の論文などをお読みください!わかりやすさ重視のため筆者により簡略化されたものです。
まずは、そもそもどれくらい効果があるのかということですが下記2つを読むところでは
「自然発生したネコ伝染性腹膜炎の治療におけるGS-441524の有効性と安全性」
31匹のFIP猫(ドライタイプ、ウェットタイプ)に対して、12週間のGS441524の注射による治療を行った。うち5匹が26日以内に死亡、残り26匹が生存。生存した子のうち8匹が再発。再投与開始した子のうち1匹が死亡。
「ブラック マーケット GS-441524 の使用」facebook内における調査?のまとめ
file:///C:/Users/User/OneDrive/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88/Downloads/FIP%20Treatment%20Lecture%20Notes%20From%20Samantha%20Evans,%20DVM,%20PhD,%20DACVP%20(WVC%202022)%20(6).pdf
393匹のFIP猫に対してムティアンなどのブラックマーケット由来のGSを使用した報告では、期間内で54%が治癒、43.3%が観察期間中.88.2%が1週間以内に顕著な改善、通常の行動に戻るまで平均3.85週間かかった。12.7%で再発が見られ、10%の確率で死亡もしくは安楽死された。
とのことです。100%亡くなる疾患に対してここまで戦えるといのは本当に素晴らしことです。もちろんそれでも亡くなってしまっている子がいることは確かです。そのため、やれば治るというのは過度の期待となります。一割近くが治療しても亡くなってしまう病気というのは確かにまだまだ怖い疾患です。
また、このFIP治療においてわかってきたこととしてGSが効果の出やすいタイプと出づらいタイプのFIPがあるということです。前回のFIPのところで触れましたが、FIPには症状の出方にいくつかのタイプがあります。その中でも薬の効果が出やすいものとしてウェットタイプ(浸潤型)のFIPはこの治療に最も効果が出やすいということ、逆にドライタイプ、眼の症状があるタイプ、神経症状があるタイプなどは順に効果が出づらいと考えられています。そのため、現在国際猫医学会が出している報告では、症状のタイプによって薬の容量を変えるように報告されています。また、治療の選択肢としてレムデシビルの注射(皮下注射、静脈注射)、内服での投与でも必要な用量が異なるとされています。
臨床症状 | レムデシビル 注射 | GS 内服 |
ウェットタイプ、眼または神経症状のない猫 | 10 mg/kg,24時間ごと | 10–12 mg/kg 24時間ごと |
ドライタイプ、眼または神経学的症状がない | 12 mg/kg 24時間ごと | 10–12 mg/kg 24時間ごと |
眼症状あり(ウェット、ドライタイプ) | 15 mg/kg 24時間ごと | 15 mg/kg 24時間ごと |
神経症状あり(ウェットタイプ、ドライタイプ) | 20 mg/kg 24時間ごと | 10 mg/kg 12時間ごと |
これらの違いは、身体にもともと存在する薬が届きやすい部位の届きづらい部位の特徴によるものなどとされています。レムデシビルの注射やGSの内服の選択は、やはり静脈注射がもっとも薬が身体に届きやすいとされますが、猫のストレスやご家族の金銭的事情、身体の状態などによって内服が選択されます。現在推奨される方法としては、注射から治療に入り、その後内服に切り替えて84日間行うこととされています。
また、イトラコナゾールやメフロキンなどの他の薬剤との併用が効果をあげる可能性なども言われています。
◎副作用について
では、この治療に関する副作用はないのかということですが、下記のものが報告されています。
・治療開始の48時間内で胸水症状の悪化
・皮下注射が痛い
・静脈注射により数時間に嘔吐感
・肝数値の上昇
などが報告されています。比較的重大な副作用が報告されておらず使いやすい薬であると考えられています。
◎費用について
費用は、海外からの輸入薬でありやはり安くはありません(薬自体が数万円で、しかも量が少ない)。施設の事情、その子の状態、体重、その他検査などによって異なりますが治療終了まで何十万という値段がするでしょう。しかし、ムティアンなどに比べては安くなると思われます。
もう一つの選択肢として、インドで売られている「※モルヌラビル」という薬剤がありこちらの方が価格は抑えられますが、治療効果については落ちる可能性が示唆されています。
※インドでは他国の薬剤からジェネリック品を作ることが許可されているためレムデシビルのジェネリックとされている薬剤
◎まとめ
より効果を上げる方法や正確な投薬量、長期的な副作用、再発時のより良い対処についてなどFIP治療にはまだわかっていないことも多々あります。しかし、正しい薬剤の使用が情報を集積させ新しい治療に繋がります。どうぞ今後はムティアンなどのブラックマーケットの薬を用いた治療は選択しないようにご家族にはお願いしたいと思います。
2023/6/13
日本国内でもシグニという動物病院用の卸サイトにてモルヌピラビルが通常販売され始めました!あと少しでFIPが通常病気になる日も近いかもしれません(^^)
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